経験が無くても描けるのがアニメーター
吉田冒頭に原作者として一言申し上げておかないといけないんですけど、『湘南爆走族』という漫画はヒーローが空を飛ぶとか、魔法を使う少女がいるとか、そういった僕が一般的にイメージする“アニメーション”とは全く違う、ファンタジー色を売り物にしていない日常の少し延長線上にあるストーリーラインの作品だったんで。実際にオートバイが走るシーンであるとか、実際の青空以上の青空とか風とかね。そういったものを力のある方々が、しかもアニメでしか出来無いような伝え方で作っていただいたという事に対して、皆さんに改めて感謝させていただきます。本当に素晴らしいものをよくぞ作っていただいたなと、アニメっていろんな事ができるんだなって思わせていただきました。
西城自分のアニメ人生の中でも一番長い関わりをさせてもらって、ずいぶん勉強になりましたね。
吉田ありがとうございます。
西城今日来たアニメーターは二人ですけど、他の人も含めて『湘爆』に関わった人はそれぞれ素晴らしい立場になってますよね。
吉田先程言ったように、空を飛ぶとか浮かぶはずの無いものが浮かんでたりするようなものと、実際にあるオートバイとか学生服を着た日常のようなものとは、動かす側からすると違うものなんですか?何か気を遣われるような所とかあったんですか?
西城例えば僕なんかバイクに全然触った事が無いぐらいなんですけど、まあアニメーターは経験してなくても、まるで経験したような想像力が無いとできないですよね。
吉田それはすごいなあと思って。
佐々木図 1:西城氏による原画ここの原画にもありますけど、西城さんは自分でもやった事があるみたいにウィンドサーフィン描いたりしますから。<図1>
吉田今はネットとかで見られて当たり前なのかもしれないけど、改めて見るとすごい事ですよね。
行当時は無かったですからね、今みたいに情報が。
吉田そうですよね。経験した事の無いものとか、海風とか。繰り返しになるけど僕はびっくりしたんですよ。日常の延長線上のドラマを、きめ細かく熱の入った演出でアニメにしていただいて。
佐々木加々美さんは[2](Vアニメ『湘南爆走族』のシリーズナンバー。以下同)からでしたっけ?[1]から?
加々美 [1]から原画で。その頃は本当に新人で、原画のノウハウもほとんど分からないまま「やれー!」みたいな感じで入れてもらって。
佐々木『湘爆』のビデオ班に入る前は何をやられてたんでしたっけ?
佐々木ああ、そうだ!
加々美『G1』っていう、いわゆる『ジェネレーション1』って一番最初の合作の『トランスフォーマー』。動画チェックですね。
佐々木加々美さんは劇場版の『トランフォーマー(※2)』で、ロボットが二重の輪になってフォークダンスを踊ってる所も描かれたんですよ!
加々美地面がバリバリって割れて…とか、そういうちょっとめんどくさいところを(笑)。
佐々木それで加々美さんは基本めんどくさいところを担当する、みたいな宿命が出来ちゃってて。
加々美的場さん(※3)っていうすごいエフェクト作画の方がいて、その人の下でチェック受けながら。それで『トランスフォーマー』の制作が終わる頃にたまたま製作さん同士で紹介してくださって「やってみるかー」って『湘爆』に入ったんだけど…紹介の時に「あの人にはガンガン仕事ぶっ込んでくれ」って言っちゃったらしくて大量にカット数を持たされて、全然出来なくて「もう少し減らしてくれ」って(笑)。
佐々木最初に『湘爆』でやられたカットって覚えてます?
加々美街中で地獄の軍団と湘爆のチームが偶然かち合っちゃって「やんのかー」って緊張してる所でしたね。
吉田『トランスフォーマー』とは違う世界ですね(笑)。
佐々木僕の記憶だと西沢さん(※4)はシリーズをやる上で、こういう内容のシーンはこの人ってのが決まってたみたいで。喧嘩のシーンをやるのが誰とか。例えばバイクのシーンだと亀垣(※5)さん…
加々美女性キャラのシーンは女性の方、とかね。
佐々木そういう担当者が割と決まっていたんですけど、ただ加々美さんは結構バラエティに富んでて。[3]だと権田の彼女が励ましに来る所とか、[4]だと江口が聖二を乗せてバイクで崖を下ってジャンプするシーンとか。あと江口と兄貴が喧嘩するシーン!
加々美江口の家でね。
佐々木それと妙に覚えてるのが[7]で湘爆がじぇんとる麺の中で喧嘩するシーン。特盛豪華ラーメンの辺りからケツの拭き方とかで喧嘩する辺りが加々美さんなんですけど、その原画がめちゃくちゃ面白かったんです。本当に万能選手みたいな感じで色んなシーンを担当されてたんですよね。
加々美図 2:新人時代に加々美氏が描いたレイアウト
図 3:西城氏が戻した修正レイアウト当時は新人みたいなもんなんで、レイアウト描いて出すと西城さんがしっかり修正されるんだけど、ただ単にレイアウトに修正入れて「ハイ、この通りなぞって」っていうんじゃなくて、すごく丁寧に理由を書いてくれて。例えば… <図2>
佐々木あ、その「もっとパースつけましょう」って覚えてる。
加々美例えばこの乱闘シーンで自分がこうレイアウトを描いていくと、西城さんがこういうカタチでちゃんと理由を書いてくれるんですね。<図3>「こうでこうでこういう理由だから迫力を出すためにパースをつけましょう」とか、絵だけでは無くてちゃんと説明して返してくれるんですよね。それはすごい勉強になって。「だからこうなるんだー」っていうね。
佐々木西城さんからきたフィードバック、全部手元に残してたんですね。
加々美コピーとってね。今まで全然そういうものは無かったんで、すごい勉強になって。
西城でも、よく持ってますね。
吉田勉強になったとか刺激になったとか、そういうものって取っておきますよね。
加々美そうですね。特にその時は新人で何も分からなかったので。
西城新人だとは思ってなかったんだ(笑)。
加々美いやいやいや(笑)。 今見るとここに持って来られないような絵もあるんで、それは今日ちょっと抜いちゃったんですけど(笑)。
佐々木自分のやってた分って全部手元に取ってあります?
加々美いや全部は。でもさっき言ったようにその前は『トランスフォーマー』をやってたんだけど、当時の合作は映像が観られなかったんです。一応初号だけは観られるんですけど、効果音とかBGMとかオープニングが無く、完成したフィルムにセリフだけって状態で。番組として完成した作品が観られたのは『湘爆』が初めてで。
佐々木ビデオアニメも、テレビシリーズと違って完成画面がなかなか観られなくて。最初の番宣スチール作る所から完成するまでの制作スパンが長いビデオアニメだと、その間に今作ってるものが形にならないのが怖かったです。今だとデジタルなので出来るそばから確認していけますけどね。
加々美だから一生懸命頑張った気がしますよね。ちゃんとこうフィードバックっていうかね、自分が上げたものに対して良い悪いがはっきり分かるって言うのが。『トランスフォーマー』の時はホント上げたら上げたっきりだし、カットもバーっと描いてバーっと組んでやっちゃってたんで。
西城今のアニメーターはフリッピングがちゃんとできますかね?パラパラ。フリッピング。その頃だと…
為我井今はもう、ほぼ紙を使ってなかったりするんで。
西城ああ、そっかー。
為我井もうパソコンの中で動かす、ってなっちゃってるんです。
西城当時はそういうの無いからね。1コマ撮りだったらこのぐらいのスピード、2コマだったらこのぐらい、というように自分の中でそういう感覚を持ってたんですよ。
加々美想像して。
西城今は全然やる機会が無いって事ね。
加々美そうですねー。
吉田今は全部フルでパソコンですか?
加々美もうかなり。半分以上ですね、アニメーターの人は。
佐々木コロナになって特に増えましたね。皆さん在宅で出来るように。
加々美上げたらもうデータで渡しちゃうんですね、ネットで。
佐々木逆に今は描いてるそばからプレビューできるので、どういう動きを作ろうとしてるのかが確認できるっていうメリットはありますけどね。
西城それこそ僕らの、『湘爆』よりもうちょっと前の頃はビデオがやっと出てきた頃でしょ?その前はそれもなかったから外注の人なんかはね、本番しか観られなかったのね。だからそれはもう真面目に観てたんです。ギャグ漫画の作品なんかでも内容に笑ってられない状態で真剣に観てたんだけど、今はもう最初から動きが分かるんですね。
佐々木あと当時は編集が終わって録音作業してる間って、ずっとフィルムがタバック(録音スタジオ)に行きっぱなしになるんですよ。だから修正をしてる時に「あそこどうなってるんだっけ?」って思ってもフィルムの確認ができないんです。だからどうしても確認しなきゃいけない所があるとタバックまでフィルムを観に行ったりとか。確かフィルムから起こしたビデオを先にもらえるようになったのもずいぶん後になってからじゃないかな?だからダビングが終わって返ってくるまで「結局どういう絵になってたんだっけ?」っていうのが分からないまま作業するっていう(笑)。
映画と同じ35mm。だから光が違う!
吉田『湘爆』はオリジナルビデオとして東映ビデオさんから出されたじゃないですか。アニメがテレビ放送じゃなくビデオの形でっていうのは、ちょうどあの頃が始まりなんですか?
佐々木東映ビデオさんが初めて本格的にビデオアニメシリーズを作ったのが『湘爆』なんですよね。
吉田それは光栄ですね。その時代からビデオ用のアニメが作られていく事になるんですね。
行そこから全盛ですね。
風間東映ビデオさんが「Vアニメ」ってレーベルで出されてましたから。
吉田さっきフィルムの話が出ましたけど、フィルムを劇場公開せずにビデオへ落とす訳ですよね。その際に何かやり方が変わった事ってあるんですか?
佐々木作業の仕方としては変わらなかったんじゃないかな。ただ会社としてもビデオアニメが始まったばかりだったので、劇場版と同じような感覚で贅沢でしたね。
風間当時テレビ作品は16mmで撮影されていたんですが、『湘南爆走族』は35mm。劇場版アニメ作品と同じフィルムを使用していました。
吉田音響も、オートバイの実車の音を録ってわざわざ重ねてましたよね?
風間通常の映画を作ってるのと同じでした。
吉田試写会の時に映画館で観ましたけど、テレビで見る目的で販売されてるのに、大きいスクリーンにかけても動きとか美術とかまったく問題なかった。それで納得しました。
加々美あれ?初号ってどこでやりましたっけ?
佐々木初号試写はフィルムの上映だったから、撮影所のスタジオで。
風間当時『東映まんがまつり』等、劇場作品は東映東京撮影所内の試写室で上映を行い、ラッシュチェックは旧スタジオの試写室で行ってました。
佐々木東映アニメーションとしては全部フィルムで作って、それを納品した後に東映ビデオさんがテレシネをかけに。そこではじめてビデオに置き換えられる。
加々美24コマから30コマに変換してたって事なんですよね。
佐々木ご本人はそんな事無いって言うんだけど、西沢さんの作品って透過光が多いじゃない?『湘爆』も光りものがすごく多いんですけど、それも社内の撮影と35mmで撮ってたからの贅沢さっていう。
吉田あー、なるほどね。そこはみんなに知ってもらいたいね。
佐々木図 4:Vアニメ湘南爆走族5より (c)吉田聡/東映ビデオ特に1本目から2本目の時に飛躍的に変わるのって、その撮影の処理なんですよ。バイクのライトを放射状にバーっと光らせた… <図4>
吉田あー、あれカッコよかったね!
佐々木それを西沢さんがとにかくやりたいっていうんで。あれはライト一個一個全部追っかけて撮影しないといけないんですよ。
吉田大変だねえ!
佐々木ものすごい手間がかかるんです。
吉田感動したのは一番最初のシーンの主観移動。あれを僕はパイロットかなにかで見て椅子から飛びそうになりましたよ。「えっ?こんな事までやってくれるんだ!」って。あと[1]で向こうからハッスルジェットが攻めてくるシーンは「え?俺の頭の中にあるのがそのまま映像になってる」って。あれ怖いんですよね。そんだけ手間がかかってたんだね。
西城サーフィンの話…[4]だっけ?あれも透過光が多かったですよね。
佐々木あれも波に光を入れようって話になって。
風間波の影はすべて透過光で光らせていました。
佐々木波もそうだしバイクもそうだし。
吉田ひとつひとつ風が吹いてたりね。お昼なのか夕方なのか朝なのかは全部画面から分かるもんね。匂いがするような感じで。
佐々木加々美さんも行きましたよね、ロケ。西沢さんがとにかく湘南の実際の空気を感じてほしいって、必ず毎回。
行行ってたねえ。
加々美 [8]の時に行きましたよ。
佐々木「あの浜の距離感を体で覚えろ!」みたいな。
加々美実際、空気感とか広がりって写真だけで見てるのとは絶対違うと思うんですよ。見て覚えるってのは大事だよね。西沢さんって豪快なコンテ切って、結構セオリー無視したり、イマジナリーラインとかも無視する時もあって、「これで出来るのかな?」って思うんだけども繋がるとすごくきれいに自然になって迫力があったりして。独特でしたね。
吉田無国籍なものを作るのはそれはそれで大変なんでしょうけど、『湘爆』みたいなローカル色が強いものをポッと描けちゃうのがすごいんだよね。城下町の物語だとか、海辺の物語とか、違う訳じゃないですか。
加々美吉田先生は結構子供の頃から、湘南の景色っていうか情景みたいなのを?
吉田いやあ。地元の人間って意外に海へ行かなかったりするんで(笑)。
加々美へー。
吉田ただとにかく空だけが広い。海から向こうって何も無いから。余談ですけど防風林ってあるじゃないですか。
佐々木はいはい。
吉田あの松、当時は低かったんですよ。自分の背丈ぐらいしかなくて。今は松がものすごい増えちゃって暗いですよね、うっそうとしちゃって。松が低かったおかげで何も無かったです。当時にロケハン行っていただいてるからアニメでも海辺はそのまんま描かれてますよね。
佐々木夜になると真っ暗で何も灯りが無いような所でしたね。今行くと半分リゾート地みたいになってるけど。そういえば西沢さんのアイデアだったのか、アニメの『湘爆』では「湘南をカリフォルニアにしよう」っていう…
行うん、やったねー。
佐々木パームツリーそよぐカリフォルニアっぽい風景の「リゾートとしての湘南」と、普通に暮らしをしている「地元としての湘南」っていうのが、平気な顔で同居してるでしょう?そこが実は絶妙なバランスだったのかなーって。
吉田ちょうどあの時期がまさにそういう頃で、サザンオールスターズがその後湘南の代表みたいになるけど、まあ彼らは当時も有名でしたけど、『湘爆』の時代って加山雄三の湘南なんです。茅ヶ崎にパシフィックホテルってのがあってね。
佐々木サマンサが泊まる所ですね。
吉田下がボウリング場で上が娯楽施設みたいなホテルがあって。でも他は何も無い。あとは生活があってね。あの時の湘南はそういう時期だった。そこに僕も漫画の描き手としてパームツリーをやたらに描いたりとそういう演出をして。本当はパームツリーって逗子の方にしか無いんだけど(笑)。三種混在の湘南の時代。今はもう他県から来た人が「みんなのイメージの湘南」みたいなのを作り上げちゃって、まさにカリフォルニアみたいだよね。
行そうですね。
佐々木当時、千葉の九十九里へ海水浴に行った時にダーっとパームツリーが並んでて「あれ、こっちの方が頭の中の湘南っぽい」と思った事が(笑)。
吉田そうですね。でもあっちは外海だから海が怖いんだけどね。湘南は内海なんで優しいですよね。
スタッフルームは毎日が文化祭!
佐々木為ちゃんも[2]から?
為我井そうだね。さっき加々美さんが新人っぽいって話があったけど、僕はもう完全な新人で。[2] [3]が動画で、[4]から原画をやらせてもらえるようになった。会社に入って実際の動画作業をしたのが8月の終わりからで、次の正月の休み明けから『湘爆』のスタッフルームに入って。
佐々木僕と同期なので、ちょうど[1]の制作をしてる春に入社したんです。
吉田 [2]が出るって聞いた時は嬉しかったですね、やっぱり。
佐々木僕や為ちゃんにとっては、『湘爆』っていう所は本当に“学校”。
為我井そうそう。この仕事のスタートの作品になるので。
吉田一番最初ですか?
為我井いえ。その前に1本合作をやってまして、その後『湘爆』です。だから国内の作品は『湘爆』が初めて。
佐々木当時はアメリカからの下請けをやっていて。
加々美合作いっぱいあったよね。
佐々木国内のテレビ作品は他の会社に外出しで作られていて、会社の中の人間は入れなかったんです。だからテレビでやってる作品どころか国内の作品になかなかタッチできなくて。『Jem(※6)』やってたんだっけ?
為我井いや、僕は『ブロンディ(※7)』1本だけ。『ブロンディ』をやって、次に『湘爆』。
佐々木そうだ。僕も『ブロンディ』へ行くハズだったのを「そんなとこ行ってる暇があったらこっち来い」って西沢さんが引っ張ってくれたんだ。
風間結構、皆さん合作から『湘南爆走族』の作品に携わるケースが多かったですね。自分もそうでしたから。自分も『G.I.ジョー(※8)』って合作をやってて、それが『トランフォーマー』と同時ぐらいに終わって『湘南爆走族』の方に関わるようになりました。
佐々木これは今と変わらないかもしれないですけど、当時は外のフリーの人たちや外の会社に出して回していて、作品のスタッフルームを作ってそこでゼロから1本作り上げていくっていうのがあまり無くなっていて。そういう中で『湘爆』とかビデオ班だけがちょっと特殊だったんですよね。スタッフルームに全工程の人の席があって、監督の西沢さんはじめ作画監督の西城さんや美術監督、新人の作画マンやら助監督やらも一緒にいて。「このカットはどう作ればいいんだー」とかワイワイその場で話し合ってやっていけるっていう。
吉田ああ、そうだったの!
佐々木毎日が文化祭みたいな。
行東映の、映画の「何々組」じゃないけど。
吉田いや、僕はそのイメージでしたね。
佐々木既に工場のラインみたいな感じになっていて、別の会社から「これが上がってきました。それを次の所に回してください」みたいな作り方が当たり前で、『湘爆』は違ってたんです。
吉田図 5『湘爆』はそんな幸せな作品だったの!じゃあさっき西城さんがお描きになったリングのイラストあったじゃない?<図5>
佐々木ホントにこんな感じで。
吉田本当にそうなんだ。
佐々木もう“学校”というか、“家族”というかね。
為我井今思うと、新人の時にそういう世界に入れてすごく勉強になった。
吉田みんなこういう風に出来ていくのかと思って。
佐々木稀有な感じで。
吉田それはむっちゃ強調しといた方がいいんじゃないですか?一般の人からしたら、みんなこうやって作ってると思うもん。「何々組」みたいな。「西沢組」みたいな部屋があって、そこに毎日出勤して、あーでもないこーでもないってやってるのかと。
行でもこの形式になってから他のビデオ作品や劇場作品とかも、こういうふうになってくるので。
吉田じゃあ「ハシり」みたいな。
行そうですね。だから憧れだったよね、スタッフルームに入れるっていうのが。
吉田そうやってやった方がより良いものを作れそうですよね。
佐々木当時、社内の背景さんは上がりに「自分が作業したぞ」ってゴム印を押してたじゃない?それを西沢さんが見て「こいつはうまくないから次は入れてほしくない」「あの人はうまかったから次も入れてもらおう」って。ホントになんか“学校”の先生のようで(笑)。
吉田そうなんだー。
佐々木僕自身も自分宛てのメモが来たりとかして、それでアニメの仕事を覚えていくみたいな感じだったので。
為我井僕は動画じゃない?今となってはやっちゃいけないんだけど動画としての当時のお遊びで、[3]の時、当初ギャグの江口は出さないっていう方向性でこの作品は成り立ってたんだけど、原作読むといっぱいギャグの江口が出てるなと。それで「ギャグの江口描きたいなー」って。僕は動画なので絵を決める立場では無いんですけど、当時セルってA→B→Cって、どんどん上に重ねていって撮影するので、1番下のセルには死角ができる…
佐々木隠れて見えなくなっちゃうトコが。
為我井上のセルが動いた下の部分。何枚かセルを重ねて見えなくなる所に動画の僕がギャグの江口を描いて。そしたら仕上げさんが「あ、ここに江口がいる」って(笑)。
佐々木たぶん夏ボケ江口だったと思う(笑)。
為我井その江口に仕上げの人が色を塗ってくれたんだけど、途中で「ここは死角だ」っていうのに気がついちゃって全部は塗ってくれなかったんだよね(笑)。でもセルになって上がってきて「あー、ギャグの江口にも色がついた!」って喜んでた。ド新人でやっちゃいけない事を(笑)。
西城そういうイタズラをしてたんだね。
吉田めちゃめちゃ面白いこぼれ話だよね。
為我井だから画面には映ってないけど、実際は誰かの後ろにいるっていう(笑)。
佐々木 [4]で江口が1万円札をひらりーんって出す所で、誰だったかな? 本当に1万円札のコピー貼ったの。そうしたら動画さんが「どこまで清書すればいいのか?」って(笑)。
吉田それはかなりやばい話で(笑)。
風間本来はコピーはNGです(笑)。
佐々木お遊び的な所でも「どこまで真面目にやればいいの?」って真剣に相談されて、「えーっと…」みたいな(笑)。
吉田みんな元気あって文化祭みたいだね。
西城加々美ちゃんと三井さん(※9)?二人並んでやってた時期があったでしょ?
加々美 [1]の時はそうでしたね、はい。
西城その時に何か手紙のやりとりをした記憶があるんですよ。「これからお風呂いってきます」とか、そういうメモがあって。
加々美当時は本当に忙しくて時間が無くて。夕方ちょっとご飯食った後ぐらいかですね、まだ貧乏で風呂が無いアパートに住んでたんで銭湯に行ったんですよね。原画を置きっぱなしにして。その原画がまだ描いてる途中で、しかもまだ当時はさっき言ったみたいに新人みたいなもんなんで微妙な作画だったんですよね。で、帰ってきたら、自分が描いた原画のラフに西城さんの修正がすっごく綺麗に入っていて、セリフ入りだったんです。なんて書いてあったかはちょっと忘れちゃったんですけど。
吉田すげー(笑)。
加々美それを宝物みたいに「うわー、やったー!」って(笑)。自分のひどい原画を修正してもらったのに「わー、やったラッキー!」みたいな(笑)。無邪気に喜んで。
吉田それは西城さん覚えてる?
西城そこはあんまり覚えてないです(笑)。
吉田西城先生は気まぐれだから(笑)。
吉田やっぱりアニメーターの方からすると、西城さんはそういう、“先生”みたいな?
加々美いやもう“先生”。伝説の方っていうか。『マッハGoGoGo (※10)』のオープニングの話を聞いて「えーーーーっ!?」って。
吉田この間、西城さんの話(※11)を聞いてひっくり返っちゃったよ。「えー?これもそれもあれもこれも」って。みんなもひっくり返ってたもんね。すごい人だよね。
加々美すごいです。
吉田その時からもう、西城さんの下にいるってのはそういう事だったのね。
佐々木アニメーションっていうものが日本で始まった頃からやってらっしゃるような人が、アニメについて教えてくれてるっていうね。
加々美一緒に仕事できるっていうのはね。
吉田緊張もするね。西城さんの「組」にいるって事は。
加々美どうしたらいいんだろって悩んだり、最初は分かんないでバーっと描いちゃっても、こういう風に「ちゃんとやれー」って教えてくれるんで。
佐々木西城さんが描かれる絵は繊細かつダイナミックなんだけど、ものすごく丁寧かつ美しいじゃないですか。しかも絶対に手を抜かないっていうか、描き飛ばすって事はしないし。トドメに絵だけじゃなくて字まで綺麗っていう(笑)。
加々美西城さんからリテイクが来て「あ、やばい何だろ」って思ったら、「絵はいいのですが字が読めません」って。字は本当ヒドいんで。未だに(苦笑)。
佐々木ここにいる僕ら、みんなそこは失格なんですよ(笑)。
吉田僕のセリフも担当の“吉田番”しか読めないですから(笑)。
佐々木『湘爆』の本編に出てくる吉田先生の手描き文字あるじゃないですか、「それは江口の姑息な作戦だった」って。あれアニメでは西沢さんの直筆なんですよ。
吉田そうなんだ!
佐々木西沢さんが吉田先生の文字を模写したんです。
加々美江口が字が下手ってのは、じゃあ先生がモデルなんですかね(笑)?
吉田そうそう(笑)。特に江口の字はよく左手で描くんで。そうするともっとひどくなる(笑)。
西城風間ちゃんはずーっと関わってたの?
風間私は[2]から[9]まで。途中[7]は抜けてますが…。
西城アニメーターからすると製作の方ってすごく大事で。人によってはすごい気分が乗らない事もありますしね。風間ちゃんなんかは本当に柔らかくてね。仕事やりやすかったですね。
吉田現場と会社との間に入られるような事が多いワケなんですか?
風間はい、そうです。
西城例えば演出だったら演出、動画だったら動画、原画だったら原画って、それぞれの分野に、ひとつひとつとして悪い顔できないんですよね、製作は。ちゃんとみんなに仕事を気分良くやってもらうって、一番大事な役目なんですよね。
吉田人柄がやたら大事な仕事っていうか。
西城そこにも描いてあるようにね、例えば「冷蔵庫持ってきました」っていう、その絵だけで、風間ちゃんが仕事以外にも気を遣ってくれてるなってのがよく分かるね。
風間私がどっかから冷蔵庫を持って来たのかな?
為我井冷蔵庫運んでたよね、近所から。
佐々木 [2]が終わった後に、別の作品が入ってる間にスタッフルームから冷蔵庫がなくなってたんで、どっかから持ってこなきゃって。
加々美無くなってたってのは逆にどういう事?
佐々木そこに入ってたスタッフルームが解散した時に…
為我井持ってっちゃった。
風間冷蔵庫ね、すごく心配してたんだね当時は(笑)。
加々美必要です!
西城そういう気を遣うから、こういう立場になったんだろうなって。
加々美一番カナメですから、製作はね。色んなスタッフを集めてまとめてやんなきゃいけないから。
風間でも今と思えば『湘爆』は皆さんの出世作で。そういう部分でも「ハシり」ですよね。
加々美みんな20代。20代前半ぐらいですね。やんちゃでね。もう自分勝手に「わー」ってやっちゃってたのを、全部西城さんがビシッと「ダメ」「ダメ」って(笑)。
西城ダメ?ダメ出し?
加々美いやいや。ホントにお世話になったとしか、もうこちらは。
風間でもそれで数十年後、みんな各作品の柱になっていますから。
《後編につづく!》【原画GALLERY】
※1 『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』:1985~1986年に放送されたテレビアニメ作品。
※2 『トランスフォーマー ザ・ムービー』:1986年に公開された劇場アニメ作品。
※3 的場茂夫:『トランスフォーマー ザ・ムービー』をはじめ数々の原画や『銀河鉄道999エターナル・ファンタジー』のメカニック・エフェクト作画監督等を務める。
※4 西沢信孝:Vアニメ『湘南爆走族』では1~10で監督、11は総監督、12では監修を務める。
※5 亀垣一:Vアニメ『湘南爆走族』では1~10で原画を務める。
※6 『Jem And The Holograms』:アメリカで1985~1988年に放送されたテレビアニメ。
※7 『Blondie & Dagwood』:アメリカで1987年に放送されたアメリカの新聞漫画『ブロンディ』のアニメ作品。日本では1993年に放送。
※8 『地上最強のエキスパートチーム G.I.ジョー』:アメリカで1983~1987年に放送されたテレビアニメ。日本では1986年に放送。
※9 三井洋一:Vアニメ『湘南爆走族』では1で作画監督補佐、2で原画を務める。
※10 『マッハGoGoGo』:1967年に放送されたテレビアニメ作品。西城隆詞は原画を担当。
※11 2022年5月22日に開催された西城隆詞によるアニメ講演会。
(いずれも敬称略)【座談会会場】Tokyo Coffee Roastery Cafe
東京都東久留米市滝山4-1-40
Tel:042-420-1882
商店街の一角にあり、開放感があって居心地の良い空間でオーガニックコーヒーが楽しめるカフェ。吉田先生もお気に入りのワッフルや手作りのケーキ、キアヌ・サラダ等のフードも絶品。